〜こころおどる〜人々

こころおどる〜人々

こころおどる〜人々

「みんなの音楽入門2」〜こころおどる!Viva Vivaldi !〜コンサートに出演する人々の、ここまでのストーリー。
さまざまな「ひとりひとり」の、さまざまな「思い」が集まってコンサートができます。


 ●ヴィヴァルディーの音楽と出合った頃(右端)

ヴィヴァルディー先生との出会い

♪ こどものための音楽の家ハルモニア代表  高橋 育世
                     (企画・バイオリン)


母に連れられて行ったコンサート、出来たばかりの長岡市立劇場にイタリアのイ・ムジチ合奏団(※注1)が訪れた。演奏されたのはヴィヴァルディーの「四季」。それがヴィヴァルディーとの初めての出会い。二度目の出会いはAmoll(イ短調)のコンチェルト RV.356。バイオリンで誰もが練習する、「曲らしい曲が弾けるようになった!」と感じる曲。小学生の頃です。
コンサートの初舞台は地元の市民オーケストラの演奏会。曲はヴィヴァルディーのギターコンチェルト(リュートコンチェルト RV.93)。夢見るようなふしぎな雰囲気の2楽章が印象的。
ソロの初舞台もヴィヴァルディー。4つのバイオリンのためのコンチェルト RV.580の4人のソロの中の一人。ドキドキ。中学生の頃。
そして高校生の弦楽同好会。文化祭の出し物はヴィヴァルディーの「四季」の「冬」。放課後の音楽室、暗くなるまで練習したことを思い出します。

これが子ども時代の彼の記憶です。ずいぶんお世話になりました。しかし、このご縁はしばらく途絶えます。大学時代、バイオリンのレッスンでヴィヴァルディーの曲を弾くことは一度もありませんでした。
彼を、この度のコンサートで取り上げることになったきっかけは、生徒さんたちとバイオリンのアンサンブルグループを始めた事です。

「みんなが楽しく弾けて、弾く事によって上達もできて、しかもいい感じに聞こえる」曲。
私たちの練習のために、そんな都合の良い曲を探していたとき、ヴィヴァルディーの曲の中に、ピッタリと、まるで私たちに合わせて作られたような曲がたくさんある事に気付きました。
あらためて調べてみると、ヴィヴァルディーが女子孤児院で生徒たちに音楽を教え、教会のコンサートで演奏を披露していたことを知りました。音楽教育を志す者の一人として、バイオリン教師、そして、音楽の先生として生徒たちに向き合うヴィヴァルディーの姿を、とても身近に感じました。
ここから、音楽教育をテーマとした「みんなの音楽入門」コンサートで、是非「ヴィヴァルディー先生」を取り上げてみたいというアイディアが生まれました。

300年前の彼が何を思い、何を求めていたかは、今となってはわからないことだらけです。しかし、音楽、特にバイオリンという楽器を通しての、ヴィヴァルディー先生と生徒たちの姿には、今の私たちとそっくり重なる部分があるにちがいないと思います。コンサートの練習を重ねるにつけ、その思いはますます強くなっています。
私たち21世紀の生徒達の姿をご覧になったら、ヴィヴァルディー先生は何を思われるでしょうか?先生は、この小さなコンサートをお気に召してくださるでしょうか?


※注1)イ・ムジチ合奏団は、1959年のステレオ録音「四季」のレコードの大ヒットにより、バロック音楽ブームの火付け役となりました。ヴィヴァルディーの名前が広く知られるようになったのもこの時からです。


●合唱団の一員として訪れたウィーン、シュテファン大聖堂。

〜Viva 私の合唱人生〜♪

♪ 女声あんさんぶるSora  中村昌子(メゾソプラノ)

私が合唱を始めたのは大学卒業後、新潟へ帰ってきて間もなく、夕刊で「混声合唱団員募集中」の記事を見つけたのがきっかけでした。知り合いもなく、どんな団体かもわからずに入りましたが、何とコンクールで全国を目指すレベルの高さ!指揮も東京から、今は亡き辻正行先生が客演で来られていて、歌い手を乗せる素晴らしい指導でした。秋には全国大会出場が現実となり、初めて出演した定期演奏会ではヴィヴァルディの「グロリア」、高田三郎の「内なる遠さ」を歌い…その頃にはすっかり合唱にはまっていました。その後、辻先生が指導する複数の合唱団からなる混成チームの一員としてオーストリア、ドイツ、オランダへの演奏旅行にも参加するほどの入れ込みようでした。まだ東西ドイツに分かれていた時代です。この頃、新採用で赴任した中学校に免許外で音楽を担当していたので、研修という形で夏休みに行かせてもらいました。

出産で退団してからは、しばらく合唱から遠ざかっていました。大規模校に転勤したので音楽を担当することもなくなりました。

それから10年以上経て、遠藤ノリ子先生指揮の「遠ノリ会」(という演奏会)に参加させていただく機会があり、ステージでハモる楽しさを再び味わうことができました。

その後、りゅーとぴあの新潟東響コーラス(東京交響楽団の合唱付き新潟公演に出演する合唱団)のスタートとともに参加。いつの間にかコーラス仲間が次第に増えて、女声アンサンブルSoraに至るというわけです。

ありがたいことに、これまでたくさんの素敵な指揮者と演奏者と豊かなハーモニーとの出会いがあり、私の音楽人生、ワクワクと感動で彩られてきました。今回、また新しい出会いで演奏する機会をいただいて(しかもヴィヴァルディの「グロリア」!)大変嬉しく思います。楽しい演奏会になりますように。そして合唱や演奏を楽しむ人たちの輪が新潟の街に、もっともっと広がっていきますように。


 ●バイオリン仲間の永井さんと山田さん by高橋

【私たちがバイオリンをやめられない訳は】

対談:アンサンブル・サリチェ メンバー
   永井千恵子(バイオリン歴7年)×山田佳子(バイオリン歴14年)


山田最近では、音楽教室でレッスンを受けているのは、子どもたちばかりでなく、私たちみたいな中高年も含めて大人も結構いますよね。そして大人はなかなかやめません。私たちの「アンサンブル・サリチェ」は、そんな教室生の仲間で結成したグループです。
永井今年はサリチェもラ・フォル・ジュルネの関連イベントで弾くことになって、月1回の合同練習に加えて、バイオリンパートだけの特訓もあったりして、たいへんですが、でもみんなで集まって弾くのは楽しいです。
山田仕事を持っていると練習時間を作るのにも苦労しますよね。私は完全な週末プレーヤーです。それで何年やっても納得できるレベルにならないから長く続くのでしょうか。
永井私もそうです。7年やっていてもさっぱり上手になりません。実は私、初めは楽譜も読めなかったんです。先生に弾いてもらって、それを耳で聴きながら音符をなぞって楽譜の読み方を覚えました。それがすごく楽しかった。
山田永井さんは体育大学の出身でしたね。それがまたどうしてこの道へ?。
永井子どもの頃、従妹がバイオリンを習っていたんです。私はそのバイオリンを触ってみたくて仕方がなかったのですが、なぜか絶対に手を触れさせないんです。それが悔しくてね。それならと、幼稚園にあったオルガン教室に入ろう思いましたが、それも思うようにいかなくて、結局はモダンバレエを習うはめに。もういやでいやで。
山田体が音楽を要求していたんですね。私は幼稚園から高2までピアノを習っていましたが、先生が怖くて怖くて、いい思い出がありません。でもそのお蔭で楽譜は当たり前のように読めたし、音がいつも頭の中を飛んでいるような感じでした。そう考えると、子ども時代の体験って大切なんですね。
永井教室の子どもたちを見ていてもそう思います。発表会で1年ぶりに会うと驚きますよ。
山田そんな子が受験や他の習い事のためにやめてしまうのは実にもったいない!
永井でも大人になってまた弾きたくなったら、ぱっと弾けちゃうんでしょうね。羨ましい! 私は「愛の挨拶」や「タイスの瞑想曲」のような、有名な曲を人前で披露できるくらいになりたい。
山田具体的な目標があっていいですね。練習にも力が入るでしょう。
永井そうでもないです。この齢になると悩みも多くて。このあいだも気持ちが沈んで暫く弾けなかったことがありました。そのあと久しぶりにレッスンに行ったら、先生から無駄な力が抜けて音がきれいになったと言われて。それが嬉しくて、また頑張ろうって思えた。
山田私はアンサンブルで弾くことが夢でした。今回それが叶ったわけですが、本番で上手く弾く自信はありません。緊張して腕が縮こまっちゃうと思います。でもそんな緊張が味わえるのは幸せなことかもしれません。好きなことに集中しているときの心地よい緊張感。
永井本当にそうですね。好きなことを続けられて幸せです。


●本番前、舞台袖で緊張の面持ちの川岸さん。

音楽とのかかわり           

♪ アンサンブル・フェニーチェ会長   川岸文武

 初めてクラシック音楽に接したのは、地元の群馬交響楽団の巡回演奏会が小学校に来て、クラシック音楽をわかり易く楽しく解説し、カッコ良く聴かせてくれたときでした。特にスッペの「軽騎兵」序曲が気に入り、その夜家族の前で箸のタクトで軽快なテンポの指揮をして、喝采と失笑を浴びた思い出があります。
 中学生以降は音楽への関心は少なかったものの、ラジオがステレオ試験放送を始めたとき、姉に誘われ、家にあった真空管ラジオと近所から借りたもう一台のラジオを接続し、左右から出る不思議な立体感に聴き入った覚えがあります。これがオーディオとの初対面です。
 電機メーカーに就職、社会人となり、会社内にあった「レコード鑑賞部」に入り、クラシック音楽の良さやオーディオ機器にも関心が広がりました。四畳半の自室に畳半分ぐらいのスピーカー2台を置き、窮屈な空間でこそ本当の臨場感が出せると言い聞かせ楽しんでいましたね。
 結婚は昭和49年。当時としては珍しい街の教会での式でした。式の中で祝福の賛美歌が歌われ、透明で広がりのある響きに夫婦共々聴き入りました。声楽・宗教曲・オペラなど好きなジャンルであったので感動もひとしおでした。オーディオではLPからCDへの移行時期で、いち早くCDを買い集め、子育て時代の家計に負担をかけていました。
 新潟に赴任した後は仕事や家族のことや環境の変化などで音楽とは疎遠になっていましたが、定年退職後は、堰を切ったようにオーディオを再開し、コンサートに足繁く通いはじめました。
 が、然し、名曲や初めて聴いた曲に感動し、音質・画質の良いビジュアルオーディオに酔いしれても、その場面から現実に戻ると、充実感や満足感がない。それは、音楽に対して常に受け身であり、自身が作り出す感動ではなかったからだと。
 前から憧れていたヴァイオリンを習い始め、自らが音を出す難しさに浸かり、音楽を組み立てる一員になりつつあるという実感をかみしめています。
長い音楽とのかかわりの総仕上げです。
 

Coming Soon

 

このページの上に戻る